-「国営工場」-
中国のバイオリン製作の歴史は日本より長く、なんと清朝時代から始まると言われています。1949年の毛沢東中国統一以後、北京・上海・大連・広州・天津などの大都市にバイオリンの大量生産の国営工場が作られました。
当時から中国製楽器はとにかく安く、膨大な生産量を持っていましたが、出回っている楽器の品質は劣悪なものでした。国営工場ゆえ、職人達の技術の向上は望めなかったことと、質より廉価であることを重視していたためです。
さらに中国楽器製作に打撃を与えたのは、1966年〜1977年の「文化大革命」です。中国のバイオリンの製作の進歩は10年近く遅れてしまったのです。
今は亡き、国営ラベルコレクション:ラベルはかわいいけど、楽器は笑っちゃいます。(現在も独立後生産してたらゴメンナサイ) |
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「小提琴」=バイオリンです。チェロは「大提琴」です。ビオラは見たことないけどやはり「中提琴」でしょうか? |
2000年問題未対応ラベルですね。しかも下2桁が書かれてない。楽器のパーフリングは「ちゃんと」手書きで書かれているのにね。 |
天津は丼と甘栗だけではなかった・・。 |
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-「改革開放」-
しかし1980年代に入り「改革開放」政策が、バイオリン製作の歴史にも大きな変化を与えます。バイオリン製作は再開され、徐々に国営のバイオリン工場は民営化され、質の悪い楽器を作る工場は衰退し、より良い楽器を作る能力を持つ職人がその力に応じてその名が認められる環境ができたのです。
-「技術導入」-
またこの頃から西欧の伝統的で高度な技術の導入が積極的になされ始めました。向上心を持つ中国の職人達がドイツ・イタリアの製作家に指導を受けるようになったのです。日本の弦楽器業者の中にも、西欧の製作技術・または国内技術の中国人製作家への導入に尽力された方達もいます。かくして中国製楽器の中には安いだけではないコストパフォーマンスの高い楽器も現われ、改めて世界中から注目を集める存在へとなってきたのです。
-「玉石混淆」-
1990年後半頃から日本でも「新生」と呼べる中国製楽器が数多く輸入されるようになります。いまだに低廉低品質のものもまだまだ多くありますが、豊富な材料と向上した技術とセンスにより次第に淘汰が進み、近年ではこれまでの中国製楽器と区別すべき楽器が日本でも見られるようになりました。
現在のこれらの新生中国製楽器の特徴の一つに「材料の良さ」が挙げられます。次回中国コラムは中国製楽器の今後とその材料について、書こうと思います。
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